平和や争いの価値観について考える
- 2019.11.27
- 持論

平和を望む人は世の中にたくさんいます。
しかし、学校でのいじめ問題や会社での派閥争いから始まり、世界に目を向けてみると紛争や経済戦争と言った争いが常にどこかで繰り広げられています。
争いが起こらない状態を平和というのであれば、平和を望んでいる人がたくさんいるにも関わらず平和な時代など来ていません。
これは矛盾していますよね。
おそらく、平和を望む人たちの中でも平和に対する価値観の違いがあったり、一皮めくったところに利己主義的な考え方があったりするんでしょう。
現実として争いは絶えないですからね。
僕たち人間は物心ついたときからかけっこで競争したり、ペーパーテストの点で競ったりします。
このように生まれながらにして周りと競う習慣が身についています。
また、強いものが弱いものをいじめる光景も、根底にはどっちが強いかという競争の概念があると思っています。
ニワトリやゾウなどの動物や魚でさえ、強い個体が弱い個体をいじめることがあります。
生き物というのは本能的に周りと争うように出来ているんですね。
僕には争いのない時代が実現するとはとても思えません。
逆にいうと、争いがあるからこそ人間は成長し、文明が発展してきた歴史があります。
戦争には反対です。しかし、ほどよい争いがあるくらいが平和と言えるのではないでしょうか。
僕も数年前までは争いのない平和な時代を過ごしたいと思っていました。
しかし、どこへ行っても人間関係における争いは絶えません。
バランスをとって平和を保つ労力はとてつもないものです。
そこで疲弊するくらいでならば、いっそのこと対立した際は真っ向から勝負に挑み、努力して自分を成長させて相手に勝つ方が楽なのです。
それに気付いたとき、いかに今までの博愛主義的な考え方がお子ちゃまだったのかを知ることができました。
平和を望むのは簡単です。しかし、それはどんな平和ですか?
人の命がかかった争いは論外ですが、ほどよい争いは人を成長させてくれます。
悔しかったり腹が立ったりする感情は誰しもが抱いたことがあるでしょう。
それは実は、自分が成長して今までなかった価値観や知見を得られる大チャンスのときなんです。
皆が負の感情を正の感情に切り替えて日々を過ごしていくことが、本当の平和に繋がっていくのではないでしょうか。
これからの世の中がどうなっていくのか、僕自身も様々な価値観に触れながらしっかりと見届けたいと思います。
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